体験版・sf小説・未来の出来事1

 20xx年の春、福岡市の博多区東那珂(ひがしなか)にある自社ビルの最上階にある社長室に一人の青年が訪問してきた。室内には男性社長で年齢は五十代、が一人、ノートパソコンに向かっていたが、
「や、そこに掛けてくれたまえ。いい話って、どんな内容なのかな?」
と、にこやかな笑顔をその背の高い痩せた青年に振り向ける。
(なんだ、フルフェイスのヘルメットじゃないか。顔が見えない・・・)
が、しかし、そのうちにそのヘルメットを外すだろうと思うと、
「社長の鬼沢(おにさわ)です。名刺を差し上げましょう。」
白色の大きなデスクの上にある名刺入れの中から金色のカードを取り、応接テーブルのソファの近くに立っていた青年に近づくと、
「座っていいから。」
と着座を勧めると同時に金箔の名刺を青年に手渡した。
それを両手で丁寧に受け取ると青年は、
「社長から、お座りください。」
とヘルメットの中から柔らかな声を出した。
社長の鬼沢金雄は気分よく、
「今時、珍しいね。じゃあ、お先に、失礼して、と。」
弾力性のある茶色の革の高級そうなソファに深々と腰を降ろした。
青年は貰った名刺を胸ポケットに入れると、ガラスのテーブルを挟んだ社長の前のソファに、ゆっくりと座った。その座り方が、というか動作が機敏で直線的な感じだと鬼沢金雄は感じたものだ。
(運動神経がいい活発な若者なのだろう。まだ、ヘルメットを外さないようだが、それに気が付かない筈はないと思うが・・・ハテ。)
ヘルメットをかぶったまま、青年は行儀よく両手を両膝の上に並べて置いて、かしこまっている。鬼沢は少しイライラして、
「君さあ、頭の上のものを取りなさいよ。それ。」
「え?頭の上には何もありませんけど。」
「かぶっているものが、あるだろう。忘れてしまったのかね、それ。」
「何でしょうか、それは。」
鬼沢の眉間に針が刺さったように見えると、
「フルフェイスのヘルメットだ。それに、君。僕が名刺を渡しのだから、君の名刺も貰えないかな。」
と努めて落ち着いた感じで説諭した。
「名刺は、お渡しします。申し遅れました。わたくし、株式会社夢春(むしゅん)の営業一課、時・流太郎(とき・りゅうたろう)と申す者で御座います。」
と申し出ると、財布から名刺を出して鬼沢に渡した。その名刺にはメールアドレスとウェブサイトも記載されている。
時・流太郎は頭に手をやると、
「すみません。ヘルメットをかぶったままでした。失礼しました。」
と慌ててヘルメットを外すと、隣のソファに置いた。
美青年、時・流太郎であったのだ。と鬼沢は思った。彫りが深く鼻が高く目は二重瞼にして黒目も大きくて色白なのだ。彼は営業マンらしく続けて、
「このヘルメット、とても軽くて、それにプラスチックが透き通って、よく見えるんです。それで、ついかぶっているのを忘れてしまって、すみません。言い訳にしか、なりませんけど。」
「そうだったのか。フルフェイスのヘルメットは重そうに見えるから。まあ、いいよ。株式会社夢春(むしゅん)・・・ああ、あのサイバーセキュリティの会社。だったよね。」
「はい、ご存知だとは思いませんでした。当社は、それほど知名度もありませんから。」
「サービス内容をウェブで見させてもらったよ。うちも顧客の情報を管理しているものだから、セキュリティ対策が必要なんだ。」
「それでは弊社のサービスに関心を持っていただけたわけですね。」
「ああ、だから来てもらったんだ。」
「ありがとうございます。こちらはロボットと人工知能の製品の開発と販売をしておられる、のですね。」
「ああ、そうだ。ロボットといっても昔のように大きなものじゃなくて、手のひらサイズのものもある。妖精、まさにそんな感じだよ。
明日、発表するけど。」
その話に時・流太郎は嬉しそうに驚いた。つやのある若い唇を開いて、
「革命的ですね。手のひらサイズのロボットなんて見たこともないです。」
「世界初だよ。これを発表すると注文が大殺到するはずだ。」
鬼沢金雄のデスクの上には、その妖精ロボットとも思われるものが置いてあるように見えた。可愛らしい少女と老人の妖精が、それぞれ一体ずつある。そこに時・流太郎の目線は移動していたのだ。
時・流太郎は考えるのだ。この会社は今より遥かに巨大になる。ならば・・・。しかし落胆気味に、
「御社サイバーモーメント様は非上場でしたか。」
「そうだね。そのうち、したいと思っているがね。ロボットは開発に時間が掛かるんだ。それまで株主の方に迷惑をかけることになるからね。」
 「そのためにもサイトのセキュリティーは必要で、ございます。」
「なるべく金は、かけたくないんだが?」
時・流太郎の頭の中にはサイバーモーメント社長、鬼沢金雄の資産額が頭の中に入っていた。その額は何と、今の時価にして三千億円はあるのだ。なんとケチな男だろう。ま、金持ちは大抵、ケチなものだが。
「もちろん、最初の三か月は無料に、させていただきます。」
「なんと、三か月も!」
「ええ、それと今回のご契約記念に外付けHDDをプレゼントします。」
時・流太郎はビジネスバッグの中から小さな箱を出して鬼沢に差し出した。鬼沢は満足げに受け取り、
「ありがとう。あ、お茶も出していなかったな。」
携帯電話を取り出すとプッシュして、
「美月(みつき)クン、お客さんだ、ブラック・アイボリーを持って来なさい。」
「はい、社長。いますぐ、お持ちします。」
と若い女性の綺麗な声がした。
時・流太郎はブラック・アイボリーって何だ、と思っていると、社長室の部屋の奥のドアが開いて、高級な金属プレートに湯気の立つコーヒーカップを二つ乗せた若いスラリとした美女が笑顔を浮かべて出てきた。
二人の前のテーブルに、しなやかな手つきでカップを並べると、深々と頭を下げて向きを変えて元の所へ戻っていく。
時・流太郎にはコーヒーの香りより美月なる秘書らしき女性の美フェロモンのような匂いが頭に痺れをもたらしそうだった。時は平静に戻ると、
「ブラック・アイボリーって、コーヒーだったんですね。」
「そうだよ。さ、飲みたまえ。」
はい、いただきますというと時はコーヒーカップを口に持っていき、おいしいですね、と舌で味わう感触を楽しみながら答えたら鬼沢は、そうだろう、それもそのはずさ、ゾウの糞からつくられるのだから、ブラック・アイボリーは、と受ける。ええっ、そんな・・と時は一瞬、吐き気を感じてしまうかと思いきや、それは起こらなかった。しかし、なんとなく眠くなってきたような気がする、おかしいな、昨日はよく眠れた筈だが、どうした・・・ううん。
 
 時は、やっぱり眠ってしまったのだ。仕事に来て眠ってしまうなんて、と頭に思いがするが何と、ベッドの上に寝ているではないか。鬼沢の前に座って寝てしまったのではなく、それに、嗚呼!眼の前にはなんと赤いマイクロビキニの美女が長い美脚を見せて時のベッドの傍らに百合の花のように姿を見せていた。
そんな、これは夢だろう、ベッドはともかく水着の美女なんて。サイバーモーメントに、おれは営業に来たんだ、社長室で高級な牛の、いや、ゾウの糞のコーヒーを飲んでいたのに、うむー、まだ、夢の中なのか、これは、もしかしたら、そうかもしれない、いや、そうだ、夢の中だ、試しにほっぺたを抓ってみよう、
と右手を持っていくよりも早くビキニ美女の右手が伸びてきて時の頬を細長い人差し指と親指で軽く抓ったのだ。
痛い、でも軽い痛みだな、としたら、夢ではない。
美女は時に顔を近づけて、
「今、右手の指でほっぺたを抓ろうとしたでしょ?だから、あたしが代わりに抓ってあげたの。痛くなかった?」
と心地よい美声で問いかけてくる。
「少しね。でも、気持ちいいな。こんな風景は。」
「何が気持ちいいの?」
「心、でしょう。体も、そうかな。」
「だったら、起きたら?あなた、仕事をしにきたんじゃ、ないのかしら。」
「そうだったね。あなたは美月さん?」
「いえ、違うわ。舞山舞子って、いいます。これでも、ここの女子社員なの。」
「その格好でえ?何の仕事をしているの?」
「接待です。」
「はあ、枕営業もするのかな。」
「失礼ね。そんなこと、芸能人じゃないし、するわけないでしょ。サイバーモーメントでは、そんな事は、していません。」
「失礼いたしました。」
時は起き上がるとベッドから立ち上がり、
「ゆっくりさせていただいて、申し訳ありません。やっぱり、コーヒーを飲んでから寝てしまいましたか。」
「それは知りませんけど美月さんに呼ばれて社長室に行ったら、ソファに眠っているあなたが、いた。鬼沢が、この部屋に寝かせておくようにと命じましたので、わたしがあなたを担いで、このベッドに寝かせたんです。」
「すみませんねえ。急いで社長とお話の続きをしなければ、いけません。」
「あら。もう夜の十二時だわ。鬼沢は退社しました。午後六時に。」
時の心臓は中心から矢が突き抜けたようだった。
「それなら、ぼくもここを失礼しないと・・・。」
「あなた、車で来たの?」
「いえ、タクシーですよ。」
「タクシーは呼べば来るけど、鬼沢は時さんを会社に泊まるように勧めてくれって、言いましたの。」
「で、へー。泊っても、いいんですか。ここに。」
「社長が勧めているんだもの。泊りませんか。」
部屋はビジネスホテルのツインぐらいあり、会社の中の部屋というより、そう、ビジネスホテルの部屋みたいなのだ。おまけにカーテンは赤いし、ベッドは・・・おーう、ダブルベッドなのだよ。
時は床を見た。すると床の絨毯も赤色のふさふさした高級感が床から湧いてくるみたいな色をしている。カーテンは閉じられていて、時が部屋の中を見回すと風呂もトイレもビジネスホテルの部屋のようにあるらしい。顔を少しこわばらせた笑顔で時は、
「確かに泊まれそうですね。」
と、うなずいてみせた。
「なら、泊まって行ってください。」
赤いビキニの舞山舞子は両手を豊かな腰の上の細いクビレにあてて、誘うのだ。
彼女も女性にしては背の高い方だが、時の頭より低いところに彼女の頭はあるし、見下ろす形になるとマイクロビキニだからメロンみたいな白い大きな胸のふくらみが大きく視界に飛び込んできた。
舞山舞子の両目は大きく睫毛は長い。それも上から見下ろすから、よくわかる。彼女の濃いピンクの唇は両端が上に向いて、右ほおに笑窪が出ている。
 髪の毛は細い肩の下まで長く、苺のにおいがする。それに二十代前半のような彼女は、色白だ。細面の顔にしてはビキニは破れそうなほど膨らんでいる。
 ソレニ夜の十二時ナノダ。時は考えた。もしかして、これは接待で、しかも・・・しかし、彼女はさっき、枕営業はしないといったなあ。鬼沢社長は、そんなことをしないと思う。社長の家族関係は愛妻と娘が二人、息子が一人のはずだ。いや、それは妻が、いようといまいと枕営業を戦略的に用いる社長もいるだろう。そうではなくて、鬼沢氏の家庭は円満で浮気もしたことがなく、又、この会社に関わった人たちの話では枕営業らしきものは浮かび上がってこないのだ。
でも、だ。こんな赤い水着の美女を差し向けるなんて、一つの誘惑であって、おれがそれに乗るのを待っているのかもしれない。
そうだとしたら、そうしたら、鬼沢氏にどういう得があるのだろう?
値引き?無料の延長、株式会社夢春(むしゅん)との関係を有利にする、
まさか、女と一晩を過ごしたおれを脅す・・・、そうなのか?それなら舞山舞子は、ここに泊まって行くために来たのか。
「舞山さん、でしたね?舞山さんも、これからここに泊まってくれるのですか。」
舞子は、ふふ、と小さく笑うと、
「あら、誤解だわ。でも、ここは五階ですけど。わたしは、あなたが眠るのを見届けたら、出ていきますわ。さっきも申したでしょ、わたし、枕営業はしません、と。」
「そうでしょうね、そうですよ、いや、そうに違いないと思っていました。でもねー、いまさっきまで寝ていましたから、なんだか眠くないんですよ。どうしたら、いいのかなあ。だってさー、舞山さん、あなたはー、ぼくが眠るまでここを出ていかない訳じゃないですかー。だとしたら、舞山さん、ぼくが眠らなければ、あなた、ここに、ずっといる、わけ、で・す・ね。」
 舞子は謎めいた微笑みで、でもそれはモナリザの微笑とは全く違う分かりそうな謎めいたもの、
「そうなりますわ。社長命令ですもの。わたし、入社して二年。二十歳です。」
「ほ。はたちですか。そいつは、いいなー。新鮮ですよ。」
「あなたも、お若いのに、ね。」
「ぼくは三十超えていますよ。」
「奥さんは、いらっしゃらないのですか。」
「いません。独身です。」
「まあ。モテそうですね。色男そうですし。」
「いえいえ、全然、モテません。ですから、仕事一筋で。」
「彼女も、いないのかしら?」
「いるには、いるんですが。今、東京に行っています。」
「どんな、お仕事をされていますか。彼女。」
「やはり、同業ですよ。しかもライバル会社だったりして・・はは。」
「それは、それは。まるでロミオとジュリエットね。」
「そこまでのことは、ないと思います。」
はっ、と気づいたように舞子は勧告した。
「少なくともベッドに、おかけになって。時さん。」
「では、失礼します。」
その時、部屋の照明が白色からピンク色に変化した。それは時の視覚に舞子をより魅惑的に見せる効果が多大なるものとなったのは、いうまでもない。
でも、ベッドに腰かけた時は、
「舞山さんも、腰かけませんか。立ってばかりじゃ、きつくありませんか。夜の十二時ですよ。」
と言ってみる。
「わたしは立ったままで、いいのですよ。仕事ですものね。」
時は困惑したが眠くならないので、この女子社員の前で寝てしまうことはないだろうと思った。
「ぼくは、これから一晩中眠らないかもしれない。そしたら、あなたは一晩中、立っているのですか。」
「そろそろ疲れましたわ。交代できますもの。うちは、こういうことのための社員が大勢、いるんです。サイバーモーメント接待課に所属しているんです、わたし。課長は社長秘書の美月美姫(みつき・みき)が拝命しておりますの。」
時は株式会社サイバーモーメントには、そんなものまであるのを知らなかった。
薄い水着の舞山舞子は何かを聞いている顔になった。彼女の左の耳にはイヤリングがついているが、それは骨伝導の携帯電話で通話のみのものである。が、時はそれに気づかない。舞子は姿勢を正し,両美脚を膝をくっつけて立つと、
「はい、わかりました。すぐに、やります。」
と誰かに答えている話し方だ。
時は不可思議そうに舞子を見ると、
「独り言かな。今のは。」
「違うわよ。耳のイヤリングは携帯電話なの。美月課長から電話があって、・・・それじゃ、わたしはこれで。」
美的誘惑的曲線を持つ柔らかな赤いビキニの尻を舞子は時に見せると、そのビジネスホテル風の部屋を静かな風の様に退出した。
一人にされてしまった時は、社長室にコーヒーを持ってきた美月が夜の十二時の今でも働いているらしい事や接待課などを考えてサイバーモーメントは凄い会社なんだなと思ったのだ。それでもだ、明日は休みではないし出社しなければならない。とは言っても自分の会社、株式会社夢春(むしゅん)は福岡市東区にあるから、それほど慌てなくてもいい。
誰もいないと時の頭の中に交際中の彼女、城川康美(しろやま・やすみ)二十一歳、身長158センチ、ロングヘアでBWH(バスト・ウエスト・ヒップ)は、84、58、87の姿態が浮かんでくる。今どきの女性としては固いというか手を握らせてくれただけでキスもまだ時は彼女にしていないのだ。それというのも務めている会社がライバルであるという要因もあるわけだが、専門学校ではクラスは隣りで同じではなかったのだ。卒業するまで時は度々、彼女を見た。それも時は学生ではなく専門学校の講師として、である。舞子に三十過ぎと話したように、その頃の時・流太郎は二十代の終わり頃で城川康美が卒業するころに学校の講師を辞めて株式会社夢春(むしゅん)に入社したのだ。城川康美が学校で見れなくなるのが寂しいというのも、その理由の一つではあるのだが、株式会社夢春の社長も時が教えていた学校の卒業生で、時よりも三つ年上の男性で新しくサイバーセキュリティの会社を打ち上げる、というか立ち上げるので人材を募集していたのだ。専門学校に訪れた株式会社夢春の社長、籾山松之助(もみやま・まつのすけ)は講師・時・流太郎に教員室で話しかけてきた。
「ぼく、今度サイバーセキュリティの会社を作るんだけど、人材不足なんです。興味、ありますか?」
いきなりなので時は心にさざ波が立つのを胸に覚えたが、
「興味ありますよ。とっても。」
と即答したのである。籾山松之助は線の様に細い体に優男(やさおとこ)の面立ち、平均身長に少し届かないくらいの背丈、灰色の背広を着てネクタイをせず、髪は短く七三分けで、その時の答えに満面・虹の様な笑顔を浮かべると、
「よかった。仕事が終わったら中洲に行って飲もうよ。又、来る。いつ、終わるのかな、仕事は。」
とソフトな感じで聞いてきたので時は退校時間を籾山に伝えると、
「分かった。それでは、その時に。」
右手を挙げると籾山松之助は静かな教員室をカツカツと秒刻みの時計のように出て行った。
そのインターネット関連も教えている専門学校はJR博多駅の北側にあり、近くには広い森林の公園があってサラリーマン及びサラリーレディの昼の憩いの場でもあるその公園の専門学校の玄関に面したポプラの木の下で籾山松之助は退校してきた時・流太郎に又、右手を挙げると、
「おーい、時くーん。」
と親しげに呼びかけたのだ。
「あ、籾山さん。お疲れ様です」
時も知らず知らずの、そのまた知らずのうちに笑顔になると籾山のところに行くために駆け足で学校の玄関前の白い階段を下りて行った。
博多駅から中洲までは福岡市営地下鉄を使うのだ。随分前だが、博多駅の近くの道路が工事中に陥没したことがあり、修復が早いということで世界中の話題となったことがあったのは二人が歩いている場所から、そんなに遠くはないところにあるのだが、博多駅付近は低地帯で御笠川という川が博多駅の東側に流れている、これが氾濫すると通行人は膝近くまで冠水した道路を通勤しなければならなくなる、その事態を改善するべく御笠川の川底の土を掘り、それを除去する工事なども行ってきた。
それらは今では遠い昔というほどでもないが、今、乙な事にその御笠川に降りて水上バスともいえる乗り物が頻繁に出ていて、そこから北に向かって博多湾に出ると西に向かい、天神という福岡市の最大のショッピング街の東側を流れる那珂川の河口に辿り着くと、それから水上バスといえる船は南下して左手の川沿いに並ぶラーメンの屋台が見えると、そこはもう歓楽街・中洲だ。そのあたりに水上バス船が停泊する場所がある。次の停泊地は対岸が西中洲で、ここからは西に歩くとデパートの立ち並ぶ天神に歩いて五分ほどで到着する。
 二人は、その御笠川に浮かぶ水上バスに博多駅の東から歩いて行って乗船したのだった。平日は祝日より乗船客は少ない。快晴の空は雲一つない。真青な空の色は一色だけで誰があの青の色を決めたのだろうか。神様なのか、そんな馬鹿なことはない単なる自然現象だから、それは偶然にそうなったのだと答える人も多いだろう。でも、本当にそうだろうか。人生に起こることは全て偶然のなす業、なせる業なのか。時・流太郎もインターネット関連の専門学校に入学し、そこの講師となっていたから籾山松之助との出会いがあった。それで今までの生き方を変えて専門学校の講師からIT関連会社に身を進めようとしている。空の色は、そんな彼を祝福しているかのように見えた。
水上バスは御笠川から那珂川に移り、まだ営業を始めていないラーメンの屋台が見える船着き場へと滑り停まった。
籾山松之助がサイバーセキュリティの世界に興味を持ったのは「情報モラル・セキュリティコンクール」だった。彼は標語部門で最優秀賞を取ったわけではないが、いいところまで行った。これが重要であるのだ。最優秀賞を取ったら籾山は満足してしまって、それ以上進まなかったかもしれない。
小学校五年の彼は同学年の男子生徒が最優秀賞を取ったのを知ると、
よーし、標語なんかよりセキュリティーを勉強してやる、と一念発起、発奮したのだ。NISC,IPA、の事も知った。NISCとは内閣サイバーセキュリティセンターで、IPAとは独立行政法人情報処理推進機構のことだ。アメリカが日本の同盟を破棄した時、アメリカの某機関が日本のインフラを破壊するべく、そのようなウイルスをセッティングしていると暴露した元情報部員の人が、その人はロシアに亡命した。だが、現在、それは20xx年に至っても行われていない。
もし、そのようなことがあったとしたらIPAは、それを防げるのだろうか???
サイバーフォース、これは警察庁にあるサイバー攻撃対策の部門でサイバーフォースセンターは昼も夜も警戒中だ。
サイバー防衛隊、これは自衛隊にある部署。防衛省と自衛隊のネットワークを守っている。
NICT、国立研究開発法人情報通信研究機構は東京都小金井市にある。
コンピューターシステムNICTERでサイバー攻撃を分析、研究等々を行っている。2014年には日本へのサイバー攻撃は256億件にも昇っていた。
JPCERT/CC、一般社団法人JPCERTコーディネーションセンターはサイバー攻撃が起こったという報告を受けて対応している。インターネット上にセンサーを置いて観測する組織だ。
 籾山はセキュリティ・キャンプ全国大会に参加しようと中学生の時に思ったのだが家庭の事情でその望みは叶わなかった。これも後になって籾山のサイバーセキュリティに対する情熱の炎に一層の油をそそぐことになったのだ。
NICTERのウェブサイトでは動画としてサイバー攻撃が日本に対して世界のどこから向かってくるのかを公開している。ATLASでは沢山の小さな切れた線の形で攻撃が日本に向かってきているのが目で見える。
CUBEという形でも見ることが出来る。拡大、縮小、回転させて見ることも可能だ。ダークネット、即ち到達可能で未使用のIPアドレス空間のこと、ここにパケットが送信されていて、これらにマルウェア感染をねらったものなどが存在する。
これも少年時代の籾山には刺激を与えた。
 
 中洲にある二十階建ての雑居ビルには飲食店や居酒屋、スナック、バー、が入店して深夜まで人の出入りの流れは止まることがない。商談にビジネスマンが利用するので日曜、祝日より平日の方が、こちらは水上バスよりも混み合っている。籾山松之助は時・流太郎を最上階にあるインターネット居酒屋「ネットで、お酒を」に連れていく。ここは個室、二人部屋、四人部屋、宴会広間と部屋が豊富でインターネットを見ながら酒が飲めるというものなのだ。日本風の入り口を開けると着物姿の若い美女が一人、立っていて、
「いらっしゃいませ、ようこそ、おいでくださいました。どちらのお部屋になさいますか。」
とニコヤカな笑顔を二人に差し向けた。籾山は、
「二人部屋に案内してください。」
「かしこまりました、こちらへ、どうぞ。」
二人は六畳間位の洋室に、廊下も日本風だったが、中は洋風で緑のカーテンが閉じられずに窓の両側に対峙している、その窓は曇りガラスだ。部屋は小さな照明だけで十分に明度の高い環境となっている。横長の高級オフィスデスクのエンベロップデスクの上には二台のノートパソコンが距離を置いて並び、その前には座り心地のよさそうな高級チェアが存在感を二人に訴えた。どちらもヘッドレスト付きのハイグレードなものだ。頭まで椅子に寄りかかれる訳だ。
そのデスクの右端にスピーカーがあって、二人が椅子に座ると、
「メニューの御注文は、スピーカーの青のボタンを押してから、お話しください。」
と、さっきの受け付けてくれた女性の声がした。
成程、デスクのスピーカーの横にはメニュー表が、あった。籾山は、メニュー表を取ると左に座っている時に、
「注文は何か好みが、あるかい。」
「いえ、特にありません。社長が決めてください。」
「よし、わかった。う?海老と蟹、和牛に鯛の鍋と最高級うなぎの蒲焼きにワインのセットにしよう。」
「ワインなんて、とても高価なものがありますね。それは社長だけにしてください。」
「ハハハ、DRC・ロマネコンティなど頼むのじゃないからね。ワインは安いのにしておくよ、だから君も飲め。」
「はい、安心しました。いただきます。」
籾山はスピーカーの青のボタンを押して注文した。応答は、又さっきの女性の声が籾山の注文を復唱して、
「それでは、おまちくださいませ。」
 
籾山は時の方を椅子を回転させて向くと、
「この店も大手明太子メーカーの子会社で、だから海産物は安く食べられる。その明太子メーカーのサイバーセキュリティを受け持つことになったんだ。それで商談の時、この店に連れられてきてね。
契約が成立した。まずは一年、よければ、ずーっと、という回答だった。嬉しかったね。」
「それでは、それが初仕事というわけなのですか。」
「そういう事になる。この一社だけでも、凄いものがある。当然ながら、その明太子メーカーのホームページには、この店のウェブサイトもリンクされているから、それにこの店もネット通販対応で顧客情報もあるわけだろう。クレジット決済にも対応している。もっともクレジットカード決済は決済会社に任せれば、いいわけだけど、
顧客の住所、氏名、電話番号、それに任意ではあるが年齢、職業、好きな食べ物、好きな飲み物、誕生日まで情報を記録している。
特に誕生日を記入してくださった、お客様には誕生日にポイントをプレゼントするというから、誕生日まで記入する顧客も多いそうだ。」
「それは大変な情報ですね。狙われるのですか、その情報が?」
「何度かDOS攻撃は、受けたらしい。が、情報は盗まれなかった。それでもサーバーはダウンしたらしいから。サーバーダウンでウェブは見られなくなるし、その隙に顧客情報を盗み出そうという魂胆なのかもしれないが。
それでサイバーセキュリティの会社を検討していた矢先、白羽の矢を僕の会社に立ててくれたのさ。」
「よかったですねー。運より実力ですよ、社長の。」
「まあ、そう、おだてなくてもいいよ。少年の頃からの夢だったからね、こういう会社を作るのが。」
「僕の様な人間でも、お役に立てますか?」
「もちろんだよ。君も学校でサイバーセキュリティについて教えているじゃないか。どんな新人よりも頼もしいものだ。」
その時、二人の耳に、
「お待たせしましたー。」
と受付の時の女性が細い両手に大きなプレートを持って高級料理を持ち来ったのだった。
 
 
 時・流太郎が籾山社長と会食している時に、時が恋人だと思っている城川康美は別の会社の社長と時達がいる同じ中洲のビルの最上階の別のレストランで会食していた。
その会社は、やはりサイバーセキュリティの会社であり、株式会社夢春より古参の大手、株式会社ネットダイヤモンドだ。
 社長は六十代初めの太った男で赤ら顔の汗が出やすいタイプ、城川康美を前にしても時々、背広の上着のポケットからハンカチを出して汗を拭いてる。こちらの会食は種類はなしで、その日のサービスメニューのものというからケチな社長らしい。その社長が城川康美にテーブル越しに名刺を渡して、
「今月大治(いまつき・だいじ)です。城川さんはシステムエンジニアとして採用しますが、サイバーセキュリティの方も頼むかもしれない。」
城川康美は渡された名刺を覗くと、顔を上げて、
「わたし、インターネット関連の仕事なら何でもやります。」
とキッパリと答えた。
「ほう、それは頼もしいな。そういう人を待っていたんだ。わたしの秘書にしたい位だが、秘書は福岡市内の某大学のミス・キャンパスだった女性が、まだ辞めないのでね。城川君は、その秘書と比べても美しいよ。」
「まあ、わたし、自分では美しいなんて思った事、ないです。」
「そういうもんかな。大体、世間の奴らは間違っていて、美人は能がないなんて思っているのがいるらしいが、そんなことはない。実際、ワシの人生でも美人社員がどんなにワシを助けてくれたことか。ま、わたしのカミさんは普通の下膨れの女なんだけどね。
だったりするから、わたしが城山君を美人と褒めたからと言って警戒する必要はないんだよ。
仕事が出来る有能な社員だと思うんだな。」
「がんばります、わたし。」
青春の希望が溢れた答え方だった。
 
 この株式会社ネットダイヤモンドと株式会社夢春は同じ福岡市東区の埋め立て地、アイランドシティにその居を構え、建物もお互いすぐ隣にある。
であるが、時・流太郎と城川康美は入社して一か月、まだ顔を合わせていないのだった。それは通勤途次の事であるけど休日も出社となった二人は、休みの日も会っていないのだった。
 勤務場所に近い西鉄香椎駅前のマンションに城川康美は引っ越して一人暮らしを始める、というのも彼女の実家は福岡市ではなく北九州市というから電車通勤する人もいるし新幹線で通勤、通学する人もいるけれども、株式会社ネットダイヤモンド社の寮というそのマンションに入り、家賃はタダという特典付きだ。その代り、というわけか休日出勤、サービス残業はありで社長の今月大治は、それなりに元を取る男なのだ。そのマンションの名称がダイヤモンドマンションといい、所有はネットダイヤモンド社のものとなっている。
七階建てだが城川康美の部屋は一階でベランダの外は狭いアスファルト舗装の道だから西鉄香椎駅で乗り降りする乗客が多く足を運んでいく。
臆することのない彼女は洗濯物もベランダに干すのだが、下着は内側に掛けて通行人には見えないようにした。
 さて、そのダイヤモンドマンションの隣のマンションがモーメントマンションという。
ここは五階建てで、その三階の部屋が・・・と駅前の不動産会社の女子社員が空室物件を探しに来た時・流太郎に、
「空室がありますよ。」
と笑顔で紹介するので、
「見に行きたいです、その部屋。」
と時は身を乗り出して、うなずくのだ。
「それではご案内しますわ。車で行きましょう。」
その不動産会社の裏に駐車場があり、数台並んでいる不動産会社の社名が自動車の側部に記されているものの一台に女子社員は近づくと時に、
「後部座席に乗ってください。」
と促して、自分は助手席に乗る。
時は自動で開いた後部座席に乗り込むと、運転手は後から来るのかな、と思いきや、後部のドアが閉まると同時に自動車は発進したのだ。
自動運転車だったのだ。いまだ普及は進んでいない自動運転車後進国の日本であるから時は驚いた。助手席に座った不動産会社の女子社員はフロントパネルのスイッチを押すだけだった。時は、
「目的地はカーナビですかねえ。」
と聞いたら、
「IOTですよ。さっき車内からパソコンでモーメントマンションを目的地に入力したんです。この車は無線ランが搭載されていまして、インターネットも繋がります。
ですからカーナビは要らないのですわ。」
と余裕綽綽(しゃくしゃく)と後ろを向いて話すではないか。
少し唖然とした時ではあったが、モーメントマンションでは更なる驚きが待っているのだ。
モーメントマンションも駅前にあるのだから車では五分も所要時間を要さないものであるわけで、モーメントマンションの広い駐車場には外来用の車を停める空間も広くあるから時達の自動車は縦列駐車も自動で行われた。
 モーメントマンションの外壁は緑色という珍しい色だ。玄関から入るとオートロックの集合玄関があり、右手に管理人室があって、
時が見るとその管理人は、どう見てもロボットだ。
これも全国的には普及は遅く、福岡市で、いち早く始まっている。それでもロボット管理人はモーメントマンションが第一号だろう。
実はロボットは作られていても購入費用が高額なため採用を見送っているマンションオーナーやマンション会社が圧倒的だったのだ。
ロボットとはいえ長い髪の毛で女性型ロボットなのは、このモーメントマンションはワンルームマンションで独身男性が多いためだろうと思惟できるのではないだろうか。
 時がロボットと見抜いたのは彼が鋭い観察眼を持っていたからで、一見するとマネキンかと見える雰囲気もある。さすがに人間の若い女性と見間違わないのは、その静止した様子にある。人間なら座っていても何処となく動いているもので、機械にはそれはないのだ。
ところが、である。
 その若い女性、に見えるロボット管理人は玄関のガラスの第一の扉を手で開けて入ってきた二人の方を顔を向けて見た、のである。
 その目たるや人間のものと変わらない外見で、義眼などは昔から優れたものがあったので、さして驚くにあたらないが秀逸なのは顔の振り向け方が優美でF分の一の揺らぎのような直線的ではない若い女性らしい顔の向け方であった。
更に、だ。管理人室の前に立った二人を見て、そのロボットは微笑みまで浮かべたではないか!
不動産会社の女子社員は、
「空室を見たいお客さんです。303号室のカギをお願いします。」
と申し込むと、その女性ロボットは、
「かしこまりました。」
と自動音声の女性の様な声を出して、管理人室内から鍵を持ち出して来て女子社員に手渡した。
見事な動作であった。行き届いているというか、不要なようにも思われるのは、その女子ロボットがカギを室内に取りに立ち上がり、歩いていく動きの中で豊かな尻が色っぽく左右に揺れる事なのである。
前面から見ると立ち上がった時には豊満な胸のふくらみが揺れ動いた。そこまで作らなくてもいいようには思えるのだが、製作者の、ゆとりも思われる。
その胸のふくらみも、かなりなものだ。男性入居者へのサービスの一環であろう。おまけに、その女性ロボット管理人からは若い女性の芳香みたいな匂いがした。肌はすべすべで、よく作ったものだと時は思う。
 貰った鍵でマンション内に入り、二人はエレベーターで三階に行き、303号室に入る。
 玄関では靴を脱ぐのは大昔から同じで、ワンルームマンションとしては普通のものだったが、六畳の部屋で女子社員は、
「大昔にはオール電化などが、ありましたけど、このマンションではオールIOTを目指しているらしいんです。インターネット・オブ・シングスの略はIOT、というのはご存知ですね?」
「ええ、一応は知っていますよ。インターネット関連の会社に就職したものですから。」
「まあ、それは本当に、お客様にはピッタリですわ、このお部屋は。」
「そうみたいですね。というか据え置きの電子レンジや冷蔵庫まで、ありますね。」
「ええ。それらは、外から携帯電話で操作できるものなんです。」
「電子レンジなんて外からじゃなくても・・・。」
「いえ、帰宅後にすぐ温まった料理が食べれますよ。なんと冷凍、と冷蔵が兼用でできる電子レンジなのです。ですから、冷蔵庫から出して、その電子レンジを冷蔵庫の状態にして何かの食べ物を耐熱性のお皿に乗せてレンジに入れておけば、いいのですわ。
そしたら下の玄関に着いた辺りで携帯電話からインターネットで電子レンジを操作したら、いいのですわ。
冷蔵庫の冷凍室から冷凍ものを取り出して入れる場合には、電子レンジを冷凍室の状態に切り替えれば、いいんです。
チン妻なる人達が、いましたけど、自分で出来ますよ、今の独身男性の方は。冷蔵庫は冷凍室が大きめに作られています。電子レンジ用の冷凍食品を大量にネット通販で購入して保存しておくために便利ですから。」
「なーるほど。僕もネットショッピングの常連ですよ。これは、いい。」
ということで時・流太郎は三日後には、そのマンションで生活するようになった。隣のマンションの一階に城川康美が住んでいるとは露、いやミトコンドリアほども知らずに。
 
 夜遅く帰ってきて時・流太郎の趣味といえばインターネットラジオの株式投資の番組を聞くことだった。彼も少々は株式投資をネット証券経由でやっている。それを聞いて思うのは昔のように証券アナリストが喋るのではなく、人工知能を使って解析された結果を証券会社の若い女子社員が話しているという事だ。
既に一部の将棋の対戦は人工知能同志の戦いとなっていて、ネットでは将棋AI王戦が行われている。
 その将棋のAIの一方は株式会社ネットダイヤモンドが開発したものだ。開発方法としては過去の将棋の棋譜をすべてAIに記憶させて、勝利の定跡を読み取らせる。最新の棋譜まで打ち込むため、日本将棋連盟の棋士は戦々恐々とした状態だ。 
 
時・流太郎はノートパソコンを開いて、そのネットラジオを聞いていたが、それを閉じるとメールチェックした。城川康美から返信が来ていないだろうか。いや、来ていない。お互いの入社後、一通の返信も届かないのだ。忙しすぎる、のだろうか。しかし、自分ほどではないだろうと思う。返信がないのにメールを送るなんて、あまりよくないと思って遠慮している。
その時、隣のダイヤモンドマンションの一階に住む城川康美は洗濯物をベランダで干していた。こちらのマンションは集合玄関のオートロックではなく、オールIOTではない昔のマンションと言える。
 
 ハッ、と時は回想から現在の居場所に意識が戻った。というのは、若い女性の声がしたからだ。
「ぼんやりされていますが、大丈夫ですか?」
ベッドに座った位置から上を見上げると、さっきの舞山舞子とは違う美女が出現していた。いや、なんとその顔は城川康美 !!!
時は驚きのあまり口をポカンと開けてしまって、慌てて閉じると、
「康美ちゃん!君が入社したのは確か株式会社ネットダイヤモンドだったよね。」
「康美?わたし康美じゃありません。貴美(きみ)ですけど。」
時の脳内は目まぐるしく動いた。
「そうか、もしかして君の名前は城川さん、でしょう。」
「そうです。よく、ご存知ですね、わたし、自己紹介していませんけど。舞山さんから、お聞きになられたの?」
「いや違うんだ。ぼくの彼女の名前がさ、城川康美 でね、君にそっくりだから、もしかして双子じゃないかと思ったんだ。」
「ご名答です。わたしの姉は康美ですけど、でも、本当は他人の空似かもしれませんよ。それに、わたし姉とこの前、携帯で話したけど彼氏はいないって言ってましたわ。」
ガキーン!と時の頭にハンマーが刺さったような音が聞こえた。
「それはね、それは照れ隠しかもしれないじゃないか。」
「かもです、ネギがあったら、おいしいかな?」
なんか変な奴、生真面目な姉の康美とは性格が違うようだ。貴美は一歩、時に近づくと、ミニスカートの両端を両手で持って、
「康美姉さんだと思って抱いてくださらない?」
「そ、そんな・・・事は、できない。」
と固く断る時ではあった。
「そう、お堅いのね。そういう人が、わが社の社長は好きなんですって、ですよ。」
「それは光栄です。契約の方は明日にでも、お願いできますか。」
「そうするって、社長は言ってましたわ。ねえねえ、今度、姉さんとデートする時、これ、姉さんにプレゼントしたら?」
貴美は肩に掛けていた赤いショルダーバッグからレンズが青色の眼鏡を取り出して時に手渡した。
「これ、なんだい?受け取るかな、彼女。」
「面白いメガネよ。かけてみたら、わかるらしいわ。」
「そうか。それなら貰っておくとするか。」
「それじゃあ、これで失礼いたします。」
白いミニスカートの貴美は深く美髪の頭を下げて部屋を出て行った。
時はゴロリとベッドに寝そべると、部屋の照明が消えた。
(あれ?電気消してないのに。監視されているのか・・。でも、親切なのかもね。)
いきなり部屋の壁に付いているらしいスピーカーから社長秘書、接待課長の美月美姫の声が響く。
「こちらで照明を消したりしませんわ。そのベッドは寝転ぶと部屋の明かりが消えるんです。それも我が社の開発したもので、間もなく売り出します。」
と笑みを含んだような声で丁寧に説明した。又もギョッとした時は、
(どっちみち監視しているんじゃないか。でも、すごい発明だ。自動消灯ベッドか。高すぎても売れそうだなー。)
又も美月の声がして、
「眠れるような音源を流しましょうか。」
というから、
「はい、お願いします。」
と時が答えると波の音が繰り返される響きがスピーカーから流れるように聞こえてきて、時は一分もすると眠りの世界へ移行していった。
 
 時・流太郎が睡眠に入った時、サイバーモーメント社長、鬼沢金雄に秘書の美月から携帯電話で連絡があった。
「社長、時さんは、お休みになりました。」
「そうか、よくやった。ご苦労さん。」
鬼沢の表情は満悦へと変わる。
 
 
翌朝早く起きた時・流太郎の耳には壁のスピーカーから、
「おはようございます。只今、時刻は7時です。朝食をお届けしますので、洗面などをどうぞ。」
と昨夜の秘書の美月とは違う女性の声だ。
洗面所に行って顔を洗い、歯を磨く。そこから出たら、入り口のドアが開いてメイド喫茶にいるようなウェイトレス風の衣装の若い女性が銀色のプレートにカステラの様なパンとコップに牛乳、カップにコーヒー、グラスにオレンジジュース、ちいさな皿にヨーグルト、バナナ一本という朝食メニューを載せていた。
メイド風のその若い女子社員は、
「お食事がすみましたら社長室まで、ご案内します。」
「連絡は、どうすれば・・・モニターカメラで見ていますね、さっきの目覚めの時も。」
「ええ、しっかりと監視させてもらってまーす。大事なお客様ですもの。」
「客って、そちらこそ、お客さんですよ。」
「株式会社夢春様には当社の製品をご購入いただいています。」
「あー、そうなんですか。知りませんでした。」
「それでは、お召し上がりください。わたしも、お召し上がりますか?うふふ。」
呆気にとられた時の顔を微笑で眺めたメイド女子社員は、軽く一礼して軽く部屋を出て行った。
 
 朝食も済み、そのあとの社長室での契約も済んだ時は颯爽とサイバーモーメント社を後方にした。
 
 
 株式会社ネットダイヤモンドはサイバーモーメント社とも覇を競い合う関係にあるのは今年に始まったことではない。なにしろサイバーモーメントの鬼沢金雄は、かつてネットダイヤモンドで働いていたことがある。その頃はネットダイヤモンドは格安のレンタルサーバーが主なる事業だった。潤沢な資金を元に社長の今月大治はロボット産業に乗り出していったのだ。その時、研究開発の一人として今月は鬼沢を指名した。社長室に呼びつけると、
「鬼沢君。今度はウチでロボットを作ろうと思ってな。君を開発担当主任に命ずる。」
「は。やらせていただきます。」
と電子レンジの終了音のような機敏な応答の鬼沢は、その時、三十代だったのだ。
その時の経験が鬼沢の独立後に作っていくロボット製造の原点だと、いってもいいだろう。
それから二十年、時が退出してから次の日にパソコンを開いてネットニュースを見て事件が発生しているのを知った。
 
 福岡市内の春日市に近いところの銀行の支店である。昼の一時、同支店に背広を着て、フルフェイスのヘルメットをかぶった男が入り口から入ってきた。スタスタスタと預金の窓口に来ると、
「五百万円ほど、このアタッシュケースに入れてください。」
と丁寧な口調で持参した銀色のアタッシュケースを開いて窓口のカウンターに置いた。受付の女子銀行員は、
「通帳を、お出しください。」
と答えたが、その男は胸元のポケットからピストルらしきものを出し女性行員の額に銃口の照準を合わせると、
「このアタッシュケースが通帳です。警察に連絡したら、すぐにこの引き金を引きますよ。カウンターの下にあるボタンを押すのが見えても撃ちますからね。この銀行のみなさん!」
と男は大声を上げた。「あなたがた、みんな同じです。わたし、目がいい。遠くのあなたもよく見えます。だから、この銀行の誰が警察に連絡しても、この窓口の女性の命はなくなるのでーす。」
女子行員は後ろの席にいる支店長を振り向いた。初老の男性支店長は、要求された金を出すように目で促す。女子行員は要求された金額をフルフェイスのヘルメットの男のアタッシュケースに、詰め込んだ。
それを見た男は、
「よろしい。それでは、みなさん、さよナラ。」
と言うなり全力に近い速度でその支店から出て行った。
 
 鬼沢は、これを読んで(時・流太郎じゃないのかな)と思ったりした。
その男は銀行の駐車場に停めてあった車で逃走した。刀装していたわけではないが銃装していたのだ。
犯人が喋った口調から外国人ではないか、と行員たちは話していたが。
銀行の防犯カメラに写っていた画像から犯人は何と!ロボットだと分かったのだ。
 最近では無人の自動運転よりタクシーの場合、ロボットの運転手が座席に座っているところが多くなった。というのは自動運転車よりもロボットと自動車を購入する方が安くてタクシー会社にとっては経費が削減できる。
会話をするロボットは値段も上昇するため、無言のロボット運転手が大半なのだが、タクシーの側面にロボットで話せませんと表記されている自動車が走っているのをよく目にするものだ。
ということでロボットは大勢いる、という三人称を使っていいのだか、日本で製造されるロボットは人口ならぬロボット口は正確な数度が把握されていない。自動車が陸運局に登録されるのとは違うからだ。
鬼沢は(こういった銀行強盗は福岡市では初めてだろう。)と推察する。
(なるほど、ロボットでは、どんな警備員だって勝てないだろう。よくやれても壊せるぐらい、その前に警備員の命が壊されるはずだ。)
(では、)
そこで鬼沢はニヤリとする。それなら警備員のロボットを作ればいい、と思うのだ。突然、秘書の美月がドアを開くと、
「社長。ネットダイヤモンドの城川康美さんです。」
と紹介すると、ロングヘアの康美が春風のように顔を出す。鬼沢は、
「やあ、お待ちしていましたよ。さあ、どうぞ。おかけになって。」
「城川と申します。以後、お見知りおきを。」
「ああ、覚えておきますよ。今日は、サイバーセキュリティの話ですか?」
と鬼沢は言いながら康美の前に座る。康美は長い髪をかき上げると、
「ええ、そうです。既に他社さんで御使用になられていると思いますが。」
「ええ。昨日、来た人がいてね、もう、契約してしまったんだけど。」
「どちらの会社でしょうか。」
「株式会社夢春だったかな。」
「夢春さんよりも、わたくしどもの会社の方が、お安くできます。」
「そうかー。でも、昨日契約したばかりだから。」
「それなら、その契約が終わってからは、どうですか。」
「そうだね。それなら、いいかもしれない。」
「それでは、そういう事で、お話を進めさせていただきます。」
鬼沢は康美の話は天空はるか、かなたで聞いていて視線は彼女の胸から腰のあたりを見つめている。(とても、いいプロポーションというか、)
「・・・ということで、よろしいですか。」
「あ、ああ。いいよ。次回契約でしょう。」
「来月から、ということで。」
「来月?一年契約だったと思う。」
「違約金は当社で、お支払いします。」
鬼沢はテーブルの自分の前に広げられている案内書を手に取って見ると、
「確かに安いね。じゃあ、そうするか。」
「ありがとうございます。それでは、こちらの契約書に署名と捺印を、お願いします。」
鬼沢は自動筆記ペンを取り出した。マイクロコンピューター内臓のもので、自分の名前を記憶させてある。その場合、ペンの頭にある赤の部分を押せば、いいのだ。スイスイ水のようにペンは動いて鬼沢金雄と署名する。
康美は、そのペンをじっと見て、
「まあ!自動で筆記するんですね。まるで宗教のお筆先みたいですわ。驚きました。」
「うん、これも販売予定だけど経費が、かかりすぎて一般に販売するのは無理だと思うね、当分。」
「わたし、購入したいです。」
「そうかね、嬉しいね。だけど、今は、これいっペン、いや、一本しか作ってないんだ。申し訳ない。」
「あら、それでは待ちますわ、いつかは次のものを作るのですね。」
「そうだね、そのつもりだよ。」
「楽しみですよ、そのペン。」
「楽しみにしていてくれたまえ。ところでだ、どうかね、君は彼氏は、いるのか。」
「うーん、いますけど、だらしない感じで。生活力なくて。という人ですけど。」
「ふーん。それなら、その彼氏を君はあまり好きではないのだろう。」
「そうなりますかしら。あっちが積極的なだけとおもいます。」
「あっち、というと、もしかして。」
「いえ、あっちって彼のこと。」
「うーむ、それなら、どうかね。今度、食事でも。」
康美の瞳はキラ、と輝いた。彼女は、ずっと年上の男性が好きなのだった。というのは康美の父親は事業家で精力的に働く男、だから父親をとても尊敬している。一種のファザーコンプレックスみたいなものは外の男性に振り向けられる、ということだろう。だから康美は、
「いいです、今度、休みがもらえたら、ですけど。」
「なに、休みなしかね、今は。」
「ええ。でも、そのうち、もらえると思います。」
「そうか、そうか。では、私の携帯の番号を教えておくから。」
と鬼沢は自分の番号を康美に教えた。
それをメモする康美、もちろん携帯電話にメモしたのだ。
 
 マンションに夕方帰った康美は部屋で携帯電話が鳴るのを聞くと、
(もしかして鬼沢さん?)と思い、
「もしもし。」
「あー、流太郎だよ。」
「時さんか。」
「時さんではダメなのかしらん。」
「駄目じゃないけど、何用なの?」
「何用って、明日、水曜日が休みになったんだ。君は?」
「仕事ですけど。」
「いつ会社は終わるんだ?」
「明日は定時よ。」
「定時は五時半?」
「ええ、五時半だわ。」
「じゃあ、おれ迎えに来るから。君の会社の前まで。」
「うん、そうしても、いい。」
「じゃあ、そうする。」
「お休み。」
「もう、寝るの?」
「まだ寝ないけど。」
「君の住所を聞いてなかったね。」
「まだ教えたくないわ。」
「それじゃあ出会い系みたいじゃないか。」
「そのうち、教えるわ。」
「そうして欲しいね。それじゃ、ね。」
携帯電話は切れてしまった。
 
 翌日は夕方から曇り空になった。午前中は快晴の空が、少しずつ薄い雲が現れ始め、今は墨色の空模様の午後五時半になった。時・流太郎の心の中も、その天候と同調するかのような動きとなりながらも城川康美を迎えに行く約束なので、行かなければ、と立ちあがっていた。
 
 西鉄香椎駅近くの時のマンションから康美の会社までは歩いて四十分ほど、さっき時が立ち上がったのは五時半より五十分前だった。だから康美のいる会社ネットダイヤモンドの前には康美の退社時刻より十分前には立っていたのだ。
五時半になり、ネットダイヤモンドから出てきたのは康美一人だけだったので、
時は彼女に手を振って、
「おーい。」
と呼んでみた。
「約束を守る人なのね、時さん。」
鬼沢には時のことを、だらしないなどと説明したけど、やはりキチンと待ち合わせてくれた彼を嫌いには、なれないらしい。
二人が立っている人工島のアイランドシティには広い公園があって、
アイランドシティ中央公園といい、その外側を一回りすると1.6キロにも及ぶ長方形の樹木の多く林立する潮風が来たから訪れる場所だ。
休日には人も多く来るけど、平日はあまり立ち寄られることはない。
雨が降りそうな今日は、時に連れられて康美が入ってみると誰もいない緑の空間だったのだ。康美は可愛い唇を開くと、
「こんなに広い公園が割と近くにあったのね。静かで、いいわね。」
「君の会社が僕の会社の隣りにあったなんて知らなかった。」
「あら、そうだったの。わたしも知らなかったわ。」
「これなら会社の帰りに駅まででも帰れるよ、一緒に。」
「退社時間が同じだったことは、今まで一度だって、なかったわね。」
「そうみたいだ。僕の方が遅いんじゃないか、と思うよ。」
「わたしだって夜遅いことも、あるわ。今日は入社して初めて、こんなに早く帰れるの。」
そんな康美の顔は可憐で、いじらしいと時・流太郎は思った。そういえば、と時は思い出した。自分のズボンのポケットに青色レンズの眼鏡を持って来ていたのだ。これはサイバーモーメントで康美の妹と名乗る貴美(きみ)から貰ったものだ。
それを取り出すと康美が目を錐(きり)のようにして、
「なんなの、それは。気味が悪いわ。」
「君の妹さんから貰ったんだ。」
「妹を何故、知っているの?」
「貴美さんだろう?」
「ええ、そうだけど。」
「サイバーモーメント社に社用で行った時に、貴美さんが出て来たんだ。」-まさか、夜にとは、いえない。
「そうだったの。貴美がサイバーモーメントで働いていたなんてね。」
「えっ、知らないのかい。実の妹さんだろう。」
「そうだけど、異母の妹よ。母が違うの、実は貴美は父の愛人の子なんです。」
「そうだったんだね。それなら何処の会社に勤めているかも知らなくって不思議ではないさ。この眼鏡、掛けてみる?」
「ええ、掛けてみるわ。」
康美は青いメガネを時から受け取り、その時、時の手に少し触って、自分の耳に乗せてみた。
すると!時のどちらかといえば好男子風の顔が邪悪で淫猥な男の顔に見えてきたのだ。康美は(こんなこと。これが時さんの本当の顔、なのかしら。)時は黙りこくった康美に、
「どうかしたのかい。変なものを見ている感じだな、君の顔は。」
パっ、と碧いメガネを外すと康美の目は一直線に時の面相を眺めるのだ。すると、眼鏡を通してみた時とは全く違う、いつもの時の優しそうな笑顔が、そこに厳然、泰然、健全として存在を示現している。
(あら不思議、さっきのは錯覚?幻覚?だったのかしら。)康美は、そう思う。
「なんだか変な顔に見えたのよ、時さんの顔が。」
「天候のせいじゃないのかな。雨が降りそうだし、ね。」
確かに炭色の空模様、軽い塩の匂いのする微風、青色は人の顔を歪めてしまうのか。青色は食欲を減退させるという実験結果もある。
食欲の減退は同じように異性間の興味も冷めさせる力が、あるのだろうか。
見よ!雨が降ってきたから二人は、それぞれ持ってきた傘を広げた。
康美は傘の下から雨天の空を見上げて慨嘆する。
「今日は台ナッシング、だわ。」
「外でばかりが会う場所でも、ないんだ。屋根の下なら、傘もいらない。」
「君の部屋に行きたいね。」
「いや、それはまだ駄目です。うちの父は厳しいの。」
「良家の子女らしいね。そうしよう。ネットカフェとか、どうかな?」
「それ、いいわね。時さんはサイバーセキュリティの?会社に勤めているのよね、今。」
「君も同業の会社で働いている。」
「だったらネットカフェなら満点デートね。行きましょう!時さん。」
康美は先んじて歩を進めた、それは帆を張った小舟がスイスイと進むように。時は慌てて、
「康美ちゃん、ネットカフェを知っているのか、先に行くけどさ。」
土砂降りになりだした滝の雨の中で呼びつなぐ。
「知ってるわ。一緒に来て。」
 
 雨に少し濡れた城川康美の後ろ姿は、その流線型の美というものに満ちている。株式会社ネットダイヤモンドでは、制服というものがない。康美のスカートは膝より少し上の長さで、ぴっちりとした臀部が、西瓜のように左右に揺れ動いている。まだ、時太郎は、そのスカートの中身を見た事が、ないのだ。灰色のスカートに、上着はクリーム色の長袖で、傘は桃色の自動で開閉する、そう、閉じるのもボタン一つで、その傘は閉じるのだ。
 かなり昔、2017年頃でも自動で開く傘は販売されていても、自動で閉じる傘は発売されていなかった。彼女に後ろから追いつきかける時は、康美が、その傘を開くのは初めて見たが、閉じるのは未だ見ていないのだ。
彼女の右側に追いついて並んで歩く時・流太郎は、傘をさしている為に彼女に近づける距離も普段より遠くなる。康美の右から見た横顔も、鼻も少し高くて睫毛の長いのが時の左の目に映写される。
 少し彼女の髪が濡れているのも普段とは違って、時の感覚に弱い電流の様なものを走らせるのだ。
嗚呼、ネットダイヤモンドは自分の会社とはライバル関係に、あるではないか。その彼女と、交際してもいいのか、という思いも彼の頭を時々、ちぎれた黒い雲の断片が空を行くように、かすめていく。
 
 並んで歩けば時の方が背が高いし、足並みは彼の方が彼女に揃えなければならない。時は、時々、康美の美脚を素早く見下ろしては、視線を元に戻す。白い肌の、おみ足だ。それがリズミカルに魅惑的に動いている。彼女の肩幅は彼女の腰の幅よりも、ずっと狭く、女らしさに溢れていた。
(おれが、なんとかするから、会社なんて辞めてしまえよ、康美ちゃん。)そう言いたい、時・流太郎なのだが、康美が鬼沢に言うように経済力に乏しい。それでは、共働きでは?とすれば、お互いライバル会社なのだ。これこそ現代の悲劇で、あろうか。
 おお、ネットカフェが見えてきた。二十四時間営業のネットカフェ、「美しすぎるネットカフェ」と赤い文字で看板には書かれている二階建ての白い建物が信号を渡ったところに、二人を待っていたかのように、その姿を、その店を見せている。
 信号は青だ、渡ろう、康美、君なら福岡市議会議員に立候補したら日本一、美しすぎる美人市議になれるぞー、と心の中で思う時・流太郎であるが、彼女は黙って横断歩道を黄疸という病気など無縁そのもののように渡っていくから、時も胸を茹でられるような感覚を覚えつつ、耳の中に彼女の指を入れても痛くない彼は、それは、おれひとりだろう、いや、他にもいるか、美人すぎるから、そう、美人すぎて彼女を狙っているのは、おれ、一人ではないはずだけと、デートできるのは今のところ、おれだけさ、だから、この今の位置を、そう、この優位な位置を利用して、なるべく早く、彼女と身も心も下着も同じ全自動洗濯機の中に入れて洗うような生活がしたい、それは即ち、結婚というものでなくてもいいから、そう、同棲というもので恋の動静を探りつつ、ライバルがいたら薙ぎ倒す、同棲出来たら、おれの一人勝ちだ、康美ちゃん、何も言わないのに、ここは、もうネットカフェの中だね。

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