今までとは違った世界へ行きたい、そう思う事は
誰にでもしばしばあると思います。日常生活の退屈さから
抜け出したいという気持ちは、良くある事でしょう。
そういった時、別世界ともいえるのが逆交際でしょう。
特に男性はセレブ系女性と付き合うことになって、
それだけでも開放感を覚えるかもしれません。
お金に不自由しないどころか逆援助するという事ですから。
女性との付き合いから逆援助というのは、今のところ
(今日は2007.12.6です)新しい世界と言えるでしょう。
男性女性双方にとって逆援助の世界は新しい世界なのです。
何故かといいますと逆という言葉を使って、それまでとは
反対のという意味を持たせているからです。男性が女性を
援助するのが普通と思われているからこそ、それと反対な事を
逆援助と名づけたのです。
これまでも女性が男性に貢ぐという事は、密かに行われていた
事で新しいという訳ではありません。ですが、世間的常識に
おける援助の概念に対抗するものとして、この逆援助という
言葉は生まれたのです。
江戸時代では、女性が早期に性体験する事は結構あったらしい
のですが、今で言う援助交際はどうもなかったらしいみたいです。
その頃の若い女性は援助など求めなかったというのが実態で、
日本人女性の意識は随分と変わってしまっています。特に戦後
変わったといえるでしょう。進駐軍政策は功を奏したらしく、
特に最近はアメリカ人化したカップルをよく見かけます。
人の生き方は自由ですから、どうこう言えないのですが、
江戸時代でも戦前でも日本は今とは違うんだがなー、と思う事があり
ます。そういうアメリカ人化した風土に対しての新しい世界ですから
本当は古来の日本に回帰するという事で、何も奇異な事ではなく、
日本では女性が男性を援助するのが当たり前で、という風潮になった
時、この「逆援助」という言葉は、男性が女性を援助するという意味に
なるのかもしれません。
進駐軍はその当時のメディアを使って日本をアメリカ化しようとしました。
一例を挙げると、映画の中でキスシーンを出させるなどというものです。
又、雑誌なども性のアメリカ化を進めるための道具としたのです。
これらは戦後六十年近く経ち、その効果は著しく日本に影響を及ぼして
いるといえましょう。日本が復興、経済大国になったというのは物質面
だけです。精神的にはヤンキーになってしまったのでありまして、戦後
日本を復興させた人達はすでに死亡していっている事も多く、それらの人達は
戦前の日本人意識を持った人達だったのです。
逆交際(逆援助)はヤンキー化している現代日本において珍しくなっている
だけの話でありまして、戦前であれば、さほど奇異にも思われなかったで
しょうし、むしろ男の栄誉みたいなものとして捉えられていたでしょう。
ですが、ホストクラブを作った人達は日本人女性の本質を見抜いていたのです。
ホストクラブを作った人達は戦前派といえる世代の人で、日本人女性は男に
貢ぐ、とか援助する事が好きなのだという事を知っていました。
だからどうですか、現在のホストクラブの隆盛は。新宿に三百軒のホストクラブ
があり、中にはそれでも女性が入りきれない店があるそうです。
さて又映画の話ですが、日本人女性らしい面を写したものもありましたね。
それは、だんなが帰ってくると、後ろから背広を脱ぐのを手伝うとかいう
ワンシーン。これなどは昔はありましたね。今はどうでしょう。何で
こんな日本になったのですか、それは進駐軍政策、ともう一つはアメちゃん
に喜んでなりたがった猿真似精神にも原因があります。
女に甘い日本人社会を作った人間は、日本人女性を堕落させてしまいました。
逆援助してくれる女性に甘いというのなら話はわかりますが。
それから虚像商法。二次元に映し出される異性に夢中にさせて、独身男女を
喜ばせて金儲け、ってわけです。
事の善悪は問いませんが、何の関係もなく、せいぜい握手ぐらいしかしてくれ
ない異性に無駄なエネルギーを使いすぎている人達は今でも大勢いるようです。
セレブ系女性は賢明ですから、虚像など追わずに実際を求めます。戦前の日本も
そうだったでしょう。ですが、逆交際サイトはないという時代ではありました。
それでも虚像自体なかったので虚像を追う事もしなかったのです。
幻影に翻弄される日本人が多いのではないでしょうか。
逆交際は日本人本来の世界へ戻るだけですよ。
例えはよくないとは思いますが、やはり日本人の主食は米である訳で
中々パンを三食食べている人はいないと思います。こういう体質の違い
もあるし、精神的構造も欧米人とは違うものもあるでしょう。
又、なかなか欧米人は米に慣れないらしいですよ。で、日本在住でも
米ばかりは食べられないらしいです。
新しい世界に見える逆交際ですが、本来の日本人の意識構造に戻る
だけなんです。米のようにしっくりとくるものでありましょう。